佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏 [音楽]
『佐村河内さんが世間を欺いて曲を発表していることを知りながら、
指示されるがまま、曲を書き続けてた私は、佐村河内さんの「共犯者」です』
「全聾の作曲家」として、あらゆるメディアで称賛されてきた
佐村河内守氏のゴーストライターだった新垣隆氏が、
2月6日、謝罪の記者会見を行いました。
新垣氏は
「彼との関わりの中で作品が生まれたので、共同の作品」と言っています。
2人の関係を、「彼は実質的にはプロデューサー。彼のアイデアを私が実現する。
彼は自分のキャラクターを作り、作品を世に出していった。
彼のイメージを作るために、私は協力したということ」と説明しました。
そして「彼とは基本的に、彼の依頼で、私が譜面を作り、
渡すというやり取りだけの関係を保っていました。
その中で、彼の情熱と私の情熱が、
共感しあえたときはあったと思っています」と答えています。
つまり、客観的には悪い事でも、芸術的な共感の上に行われた
共同作業のようなものであったので、芸術家としての思いが優先した、
ということなのでしょう。
あくまでも作品は作品としてその創作の背景は別として、
オリンピックでも使われるので、いいのですが、
ここで色々はっきりしてきたので、オリンピックとは切り離して考えたいですね。
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指示されるがまま、曲を書き続けてた私は、佐村河内さんの「共犯者」です』
「全聾の作曲家」として、あらゆるメディアで称賛されてきた
佐村河内守氏のゴーストライターだった新垣隆氏が、
2月6日、謝罪の記者会見を行いました。
新垣氏は
「彼との関わりの中で作品が生まれたので、共同の作品」と言っています。
2人の関係を、「彼は実質的にはプロデューサー。彼のアイデアを私が実現する。
彼は自分のキャラクターを作り、作品を世に出していった。
彼のイメージを作るために、私は協力したということ」と説明しました。
そして「彼とは基本的に、彼の依頼で、私が譜面を作り、
渡すというやり取りだけの関係を保っていました。
その中で、彼の情熱と私の情熱が、
共感しあえたときはあったと思っています」と答えています。
つまり、客観的には悪い事でも、芸術的な共感の上に行われた
共同作業のようなものであったので、芸術家としての思いが優先した、
ということなのでしょう。
あくまでも作品は作品としてその創作の背景は別として、
オリンピックでも使われるので、いいのですが、
ここで色々はっきりしてきたので、オリンピックとは切り離して考えたいですね。
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タグ:佐村河内 新垣隆
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